037 東殿山城跡 黒松
郡上八幡城
郡上八幡城の沿革 関係ない話ですけど
 一応目的の岐阜城を見たター君は、後は帰っても構わないと言っていたのですが、 同じ道を帰ってくるのが嫌なので、東海北陸道を使って日本海側に向かって走り始めました。 そして、まだ明るかったので何処かで遊んでいこうとター君に聞いた所、すぐさま出てきた言葉が「郡上八幡城があるよ」。 と言うことで、またまた寄り道をしてしまいました。(訪れた日:2001.5.4)
リンク
郡上八幡城
郡上八幡城
郡上八幡城
郡上八幡城の場所
郡上八幡城の場所
お城巡りメニューに戻る


駐車所に車を置いて、登ってきた道の左側を入っていくと(上写真の真ん中の道です)、右の様に開けた綺麗な場所に出ます。
 郡上八幡インターチェンジを降りて少し細かい道を走っていくと、郡上八幡城への一方通行登り道路があります。 結構狭い道で、私のデリカスペースギアでは曲がりきれないカーブが沢山ありました。一寸心配になる程狭い道でしたが、 頂上の駐車場(無料)に着いたら結構車が停まっているので安心しました。(関東ナンバーの車も数台いました)
郡上八幡城
上の写真の下側が登ってきた道です。
郡上八幡城
 写真の様に、緑に囲まれた綺麗なお城でした。「八幡城の沿革」が有ります。
郡上八幡城
山城ですが、珍しく登るのでは無く平らな道を歩いて大手門まで行くことが出来ます。
郡上八幡城
 付け櫓?
郡上八幡城
ここが入り口だから大手門なのでしょう。
郡上八幡城
天守から眺めは「日本一」(?)
と言うのは、面白い展示があったのです。
 着いたのは丁度5時頃でしたが、何とかお城の中に入る事が出来ました。 中は、昔の小学校の感じで、木造のため歩くと床がぎしぎし言います。ここも天守からの眺めは気分がいいです。
郡上八幡城
天守からの大手門方面。
 「日本一」(霊府神)
18代城主青山幸哉(ゆきしげ)が江戸下屋敷(東京青山)に住んでいた頃暴風で倒れた大木の中から「日本一」の文字が出てきたことから、 これを霊府神として祭ったもの。

天守には本当に、「日本一」と墨で書かれたような文字がある割れた木が展示されていました。お疑いの方は自分の目で確かめてください。

郡上八幡城
郡上八幡城  さて、最後の最後だったので、ゆっくりと天守の入り口で写真を撮ってきました。 私たちの他には誰もいなくなりました。
郡上八幡城  写真を撮るときには、松の木がじゃまと思いませんか?そんなことは無いと言うことが判りました。 そう言えば、犬山城にも天守の身代わりなったという大杉の枯れた物が保存されていました。
郡上八幡城

「全国城郭管理者協議会」の資料から
所在地 岐阜県郡上郡八幡町柳町一の平
別名 積翠城(せきすいじょう)
城の種類 山城
築城者 遠藤盛数
築城年 永禄2年(1559年)
歴代城主 遠藤盛数、慶隆、稲葉貞通、遠藤常友、井上正任、金森頼とき、青山幸道
天守の構造 木造4層5階
Last update 2014.5.15 2001.7.22 Since 2001.5.7
お城巡り表紙へ 

inserted by FC2 system